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宝友会の歴史

宝友会

houyoukai.JPG    花の道にある「宝友会」サロン宝塚歌劇団ならびに宝塚音楽学校の卒業生で構成されています。
相互の親睦を図り母校との関係を密接にし
宝塚歌劇団の発展に尽くすことを目的とし設立されました。

ご入会頂きますと毎年11月に開催されます総会で
懐かしい皆様と会食をし楽しい談話で時を過ごします。
希望で各組の観劇もできます。

関東には「東京宝友会」もございます。
海外には「宝米会」もございます。

宝塚歌劇が100年を越えた今、永く先輩方が守ってこられた歴史と誇りを受け継ぎながら、
より地域や世代を超えて集える組織となるべく活動してまいります。
広く皆様のお知恵を頂戴しながら、有意義な活動を企画していきたいと考えておりますので、
ぜひ当会主旨にご賛同いただき、お一人でも多くの卒業生にご入会、ご参加をお願いいたします。

宝友会の始まり

小林一三先生を囲んで
宝友会.jpg昭和28年11月5日「宝友会」発会式             クリックで拡大できます
 終戦後の昭和21年4月22日に宝塚大劇場は再開され、宝塚にようやく春が戻りました。
閉鎖された期間は2年2ヶ月でした。

 昭和28年11月5日、朝11時より宝塚大劇場の噴水前に集合して記念撮影をし、場内の大食堂で「宝友会」の発会式が行われました。小林一三先生の祝辞にはじまり、往年の懐かしいスターの人たち約150名が集まり、在団生の天津乙女さん、冨士野高嶺さん、春日野八千代さん、神代錦さんも出席されました。和やかな雰囲気に包まれて、今後の宝友会の方針について話し合われました。
その後、3時から大劇場雪組公演を観劇されました。それまでは「宝塚同窓会」と呼び小林先生が運営されていたのを、この日から「宝友会」と名付けられ卒業生たちでの運営となりました。
外園に売店を設け、続いて楽屋に生徒たちの為の小さな食堂を開き資金捻出をしました。

「宝友会」歴代会長
門田芦子   沖津浪子   泉川美香子   宮島あき子   月影笙子様  室町良子
沖津浪子(2回務めました)   春日花子   富士野高嶺   麻鳥千穗  立ともみ 未沙のえる(現在) 


 東京公演が再開されたのは昭和22年4月1日です。しかし、東京宝塚劇場はアメリカ軍に接収され「アーニー・パイル劇場」と名付けられていました。
公演は、有楽町の日劇(日本劇場)に於いて雪組公演で幕を開けました。
昭和22年は日劇で3回、昭和23年から昭和24年にかけては、日劇と江東劇場を交互に使い6回の公演が復活しました。
昭和25年、小林一三先生は帝劇の上の広場に生徒を集め「一つ釜の飯を食べた同士を行方知れずにしてしまっては不甲斐ない。バラバラになっている卒業生の住所を探し同窓会を作りなさい」とのご指示がありました。
翌26年、日劇の地下のお店をお借りして卒業生運営の「タカラジェンヌ」を根拠地として、皆を探し「宝塚同窓会」を作りました。最初の責任者は坪内士行様の奥様、操様です。お店は素人経営のため利益が出ず、大変に苦労されました。
 昭和55年に日劇が取り壊しのため、東宝劇場の地下に「宝友会」は場所を移しました。
現在は新しい東京宝塚劇場になり事務所はなくなりました。「東京宝友会」は幹事宅を連絡先として事務を行っております。

 「宝友会」は、たくさんの苦労を重ねられた先輩方が築きあげられたのです。
私たちは、これを大切に守り発展させなければと思います。

追記  昭和18年の戦時中、5月12日に「宝友会」会合の記録が残っています。この時、すでに「宝友会」と言う会名だけはできていたようです。

宝友之塔

宝友之塔

houyounotou.jpg宝友之塔


平成13年5月30日
中山寺「宝蔵院」にて亡くなられた卒業生の慰霊法要を執り行われました。
その席で、当時の宝友会会長 加藤千春(冨士野高嶺)様より、
「この度、小林家のご配慮、ご尽力により、池田五月山の小林一三翁が眠られる菩提寺内に故人となられた宝塚歌劇団卒業生の供養塔を宝友会の事業として建立させて頂くことになりました。」とご報告がありました。

平成13年10月25日
池田五月山「大廣寺」の境内にて碑銘を「宝友之塔」とし、落成式を執り行われました。
題字は、小林公平様の筆を頂き碑に刻まれました。

毎年秋に、ご訃報を頂いた方のお名前を書き留め、ご住職がお弔い下さり手厚く塔に納められています。
亡くなられた方の現在名・芸名・初舞台の年と亡くなられた日付を宝友会に届けて下さいますようお願い致します。

大廣寺
住所 池田市綾羽2丁目5-6
電話 0725-51-3433